2004年09月12日

葛藤

こうやって書いていくにあたってより深く知ろうとするほど苦しいことが多い。
あてにならないとは判りつつもTHE掲示板などを覗いた。ここは年齢層が若い、と思われる。有益なスレッドは皆無状態だったが、いくらか見てみた。
「○○はどうおもう?」
「>そろそろやばいよ、今は流行ってみんなしてるけど」

「なぜ高いブランドにこだわるのか。安くていいものもある。」
「高いブランド品より、一点物のノーブランドの方が」

多分若いんだろう。推定年齢層を考えれば、気にせずにほうっておけば良い話だ。
しかし、取り敢えず考察してみた。
なにしろお恥ずかしいことに、ああ、自分のやっていることは狭い了見で偉そうに薀蓄並べている見苦しいものなのか、と葛藤して夜を明かしたのだ。

まず、流行アイテムとしてアクセサリーがつけられているという点は自分と遠すぎて見落としていた。
ビルウォールのイニシャルクラウンはL.S.D.の高蝶氏いわく「土産物」とのことだが、僕個人は悪くないと思った。Rを母に貰った。確かにアメリカ土産だったが、もともとクロムハーツLAを探していた結果見つけられなかったからの代用品である。
そのイニシャルペンダントが今流行り物だという話を耳にした。なるほど調べてみると品のないきらきらしたイニシャルジュエリーが山ほど出回っているようだ。それを見てビルはシルバーアクセサリーらしくデザインしたのだろうか。
モチーフでの流行ならまあいいだろう。クロス、リリー、スカルをはじめとした普遍的デザインが一時的にという場合僕個人は不服だが、ティムキャンピーのプルトップペンダントのようなら気に留める必要もない。
しかし、アクセサリーというものはそもそも衣服と違い本当にアクセントにしかならない。ファッションに合う合わないというけれど、実際はたから見れば何かつけてんな、程度にしか見えまい。
だからこそ流行になる多くはペンダントなのかもしれない。リングの流行など、キースリングくらいしか記憶にない。
多分ティムキャンピーをつけてたからって「うわ味代遅れ、ダサい」なんて言うこともないだろうし、そんなことを思う人のほうがよほど特殊のように思う。

安物、ブランド品。こっちの方がよほど問題だった。
音楽業界とシルバーはリンクしているのだろうか?シルバー界でもカットスロートに見られるような「インディーズ」という言ってみれば「カテゴリーのブランド化」が時折見られる。
シルバーが割と直接的にロックを思わせるためか、シルバーに興味を示す若者にはある種既成のブランドに対する反発を見せる人もいる。それは今回の話とは別だし、インディーズ世界に対する批判的なことは今は避ける。
その反発、特に10代まで年齢をさげると、やはり値段に対するものが多い。お金がないからだ。
では彼らはブランド品をなぜある意味「悪」のようにみなすのだろうか。そこが悩みの種だった。

シルバーアクセサリーのブランドの大半、日本においては全てが、積み上げた歴史などない。欧米の服飾ブランドの歴史を考えればブランドの定義にすら反するかもしれない。言ってみればシルバーにおけるブランドとは、社名及び同一社におけるシリーズ名に過ぎないのだ。
となると、ブランドとノーブランドの違いは、メーカーが明示されているか否かだ。

ブランドへの反発者はブランドを手に入れられるのにあえてノーブランドを選んでいるのか、否か。金を持っていても大金をつぎ込むほどの価値を感じていないと言うことは大いにありえるが、シルバーアクセサリーが大好きだといいながらブランドは嫌いだとわざわざ言うのは、極めて確率が低いだろう。
ブランド品を様々見た上であえてノーブランドに魅力を感じるということは、まずありえないからだ。
まず何が怖いかと言うと、模造品だ。ブランドといわれるものですら、影響やらデザインがかぶってしまうことやら尽きないのだ。中にはパクリブランドの汚名を着せられるものさえある。ちなみにノーブランドは一点物ではない。型で作られている。ブランドを立てていなくとも職人の一点物が1000円やそこらで手に入るわけはない。
そしてクオリティ。当然コストをかければかけるだけ高くなる。クロムハーツなどのブランドの工場で働いてるのがおばちゃんだろうがゴツイあんちゃんだろうが、アジア作ってようがなんだろうが、コストがかかるのは確かだろう。勿論そこに関しては前に書いたロイヤルオーダーのようにうがって見るべき部分はあるが、それがノーブランド、ことによるとコピー品や偽者を肯定することにはならない。またブランドにはデザイナーが存在しており、その人の給与もコストに入る。デザイナーは移籍などのニュースを見ても社員であり、作品一つにつきいくら、というやり方ではないだろう。であれば数を売れば回収できるというものではない。継続的に給与が発生するからだ。
もちろんデザインは知的所有物であり、コピー品でもその人が気に入ってればいいじゃないか、ということを見逃すことはできない。ましてやシルバーアクセサリーが好きだという人間がそういう見方をすることは遺憾でならない。
ルビーが好きだが、何百万もするのでがガラス玉をルビーと言ってつける、ということがないように。

そもそも、この消耗品的な考え方がどうなのかと思う。アクセサリーはジュエリーである。貴金属だ。そこには、くだらないかもしれないが権威や成功の象徴の意味もこめられ得る。ローレックスやオメガにしても、必要以上のコストをかけて作られている。そしてその価値を人は認める。
アクセサリー自体、あまり若い人のつけるものではないと僕は考える。シルバーアクセサリーがジュエリーを離れストリートカジュアルになっていったのは、アメリカのバイカーによるものでもロックミュージシャンによるものでもなく、日本での販売戦略によるものだ。
対照的にショップはブティックの趣を残したままだ。
確かにストリートカジュアルとしてのみ考えれば、ジーンズショップよろしくブランドなどあまり意味のないものだろう。プレーンで無個性だったり、パロディデザインならばそれもいいだろう。しかし一方でアートやジュエリーとしてのシルバーアクセサリーの価値観も依然残っている。
いってみればこれもまた、マスコミに動かされる悲しい現代人の姿なのかもしれない。


こういった理屈を中高生が考慮することはまずないだろうが、こういった考え方をここに記すことに価値があると信じたい。

僕は思う。いつか僕も年老いていく。そして子ないし孫に、最高の一品を残したい。スカルモチーフは死者の象徴。大切なスカルの中に僕の魂を遺すのだ。
アクセサリーや高級時計を形見とする話は珍しくない。
身に付けるものであり、また様々な思いを込めることも出来る。シルバーの輝きは、粗末にすればすぐにくすむ。しかし磨き続ければいつまでも褪せることがない。

どこかのおんぼろ工場で適当な型取りから作られた胡散臭いバッタ物には、その役は果たせない。
一過性の流行物でも難しいだろう。
普遍的に輝き続けるブランドというものは、いざそういうシチュエーションを考えれば、実はまだまだ少ないように思う。
posted by 遼 at 22:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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