スカル一辺倒を脱却したのはある程度アイテムがそろったことが大きく、別にスカル離れしたわけじゃない。
スカルモチーフというと現代日本なんかじゃ負のイメージだろうし、ドメスブランドの中にはある意味不謹慎といえそうな毒々しさのためにスカルを用いるブランドが多い。乱暴に言ってしまえば、不良くささ、後ろ向きの格好つけ、だ。ビジュアル系バンドに多い、おどろおどろしさとかよく知りもせずにナチスアイテムを着けて悪ぶる感じ。
まあ単純にスカルが「美形」であることもある。
僕の場合もスカルが格好よかったというのはある。初めて買ったロックキャンディがそうだった。そこから深くスカルに興味を持つに至ったのは、スカルモチーフについてを多少なり知っていたからだった。
メメント・モリ思想。死を忘れるな(覚えろ)。
中世欧州において死が身近であった頃、人々はスカルを象徴として死者の存在を刻み、また、自らにおいても、生があれば死があり、死があるから生もある。死ぬという概念がなければ、生きているという概念もない。概念づけるまでもなく、生きているほかにないのだから。
翻って考えると、現在この国では死を閉じ込めてしまう、隠してしまうきらいがある。どこか遠い出来事のように感じてしまうところがある。すると生きているという意識も希薄になる。平たく言えば命を大事に思わなくなる。破産というものがなければ金を湯水のように使うだろう。オゾン破壊がなければフロンガスも使い放題使うだろう。死なないなら命を粗末に使えるだろう。だが、実際はどれも存在しており、資源も金も、命も有限だ。
また、キリスト教圏の中世欧州においてはキリストの十字架もまた、忘れてはならない死だったのかもしれない。
その死生観は高校時代の頃に興味を持ったものだった。中学生時代末から哲学に少しの興味を持ち、プロテスタント系の高校だったこともあって高校時代少しは本も読み、自分なりに消化しようとした。生があれば死があり、死があるから生もある。この部分が自分の行き着いた結論であり、その意味でアクセサリーが好きな自分としてはスカルモチーフをつけることはスピリチュアルな意味合いでも有意義だった。
そんなシルバーアクセサリーのモチーフに込められた意味などを掘り下げて考えておられるのがIntron Waversさん。
これは興味深い。アクセサリーつける人一人一人にこんなような価値観を押し付けるつもりは全くないけど、知って損はないと思う。




