2015年05月20日

ハンドメイド

ハンドメイドというのは小規模なプロダクトにおける代表的な売り文句です。
シルバーアクセサリーにおいても、その言葉を聞いたことがないという人はいないくらい定番です。
しかしその意味するところというのはかねてより明確化されることを避けられてきています。
一度や二度、ハンドメイドってなんだろうと考えたことのある人は少なくないのではないでしょうか。
ですので、改めてそこを掘り下げてみようと思います。

この言葉、宝飾、皮革、衣服、いずれにおいてもよく耳にします。
たとえば宝飾分野ですが、この中だけでも大変に解釈の幅があります。
ハンドメイドといったって、手だけで物が作れるわけではありませんから、道具は必要です。
さてその時に使う工具がアナログか、機械化されたものかで対義的な「マシンメイド」になってしまうでしょうか?
そこまでいう人はあまりいないでしょうね。

では、技法としてデジタルというわけではないが「鋳造」で量産されることはハンドメイドか?
このあたりから線引きが混沌としてきます。
鋳金自体は古来の技法です。一方でハンドメイドアクセサリーなどと聞いた時、その造形を見て
「一つ一つ彫金で掘り出しているのか、すごいなあ、そりゃあいい値段するよなあ」
初めてのシルバーアクセサリーなんかでそう思った人も少なくないのではないでしょうか。
商品説明などでもお店側が「型で複製」というところに負い目を感じているように見受けられることがあります。

また一口に鋳造と言っても、使い方は様々です。
装飾物の形をとりつつも、芸術品だったり資産となるような作品はまず大半が手作業と考えると思います。
JARことローゼンタールやケヴィン・コーツが現代のトップランナーでわかりやすい作品を送り出しているので調べてみてください。
でも、そんな作品であっても、その複製はせずとも、完成させるうえで必要に応じて鋳金の技法自体は使われるわけです。
このあたりはもはや「ハンドかどうか」の問題ではないように思えてきます。

複製、量産という点に目を向けると、その手法は大きくプレス、キャスト(鋳造)に分かれると思いますが、
同じ型物でもプレスの方がハンドメイドからは離れたイメージがないでしょうか。
もしかしたら型ではないながら旋盤なんかもマシンメイドに感じる人もいるかもしれません。
(逆に、ロストワックスよりも手業に感じる人もいるかもしれません)
量産は実際には多くのブランドやクリエイターが量産メーカーに委託している工程だと思います。
鋳物師、という技法を持つ人もいて、それはそれで手業に感じられますが、普通にプレスも旋盤も鋳造機も、全部対応する工業メーカーもあります。
むしろその外注量産、というところで「あるクリエイターの作品」というところから「マスプロダクト」のイメージになり、ハンドメイドの印象と離れていくのかもしれません。

しかしジュエリーCAD制作となると、途端にマシンメイド感がアップします。
そう考えると、言葉にするとひどくあたりまえに見えますが、工程の中に自らの(あるいは職人の)手で造形を行った、ということがあるか否かが印象に大きな影響を与えるように思います。

複製をしても、最後の仕上げは必要です。燻したり、磨いたり、加工を入れたり。
こうした最終工程で職人の手作業が加わることも、ハンドメイドという言葉への納得感に一役買っているでしょう。
石が付いているとか、いくつかのパーツが組み上げられたりロウ付けされたりしているとか。
先述のジュエラー、特にコーツなどはほとんど自らの手で鋳造し、彫りをいれ、その他加工、七宝での着色なども行ってやっと一つの作品になるそうです。

ところで、しばしば「ハンドメイドのため個体差が」という記述を目にします。
これは、クレームリスク上仕方のない部分があります。
冷静に考えるとハンドだろうがマシンだろうがバイオだろうが、個体が違えば何らかの違いはあるだろうという話ですが。
でもこれも行き過ぎるとおかしなことになります。
考えてみれば、一昔前までハンドメイドというものにメディアなどを通して触れるとき、それは多くが「機械では出せない精度を出すために、一点ずつ職人の手が入る」というようなものでした。
効率性を度外視したフラグシップのためのハンドメイドというものは少なくなかったはずです。
砲丸の辻谷工業や、磨き屋シンジケートなどが注目され「日本のクラフトマンシップ」に新たな光があたったのは、思えばもう10年以上前でしょうか。
その頃に比べ、手工業の世界のクオリティ自体は下がっている、とは言いません。
シルバーアクセのようなファッションジュエリーはその技術が成熟してきて造形力の平均値は明らかに上がっていますし、バイカーウォレットの類以外では見つけることも一苦労だったヌメ革製品が一般的になってきました。
さらには作り手も増え、販路も増えました。
しかしながら、従事者の拡大に市場が付いてきているかは別問題なのかもしれません。
「ハンドメイドのため個体差が」
「ハンドメイドのため納期が」
「ハンドメイドのため汚れが」
売り手の理解も足りておらず、特性やケア方法の啓蒙も進んでいないが故、このような注記であふれているのが今の市場です。
さすがに言い過ぎだと思うようでしたら上記ワードで検索してみてください。
一番驚いたのは「ハンドメイドの為、キズや汚れがございます」というある店舗。初めから断言、それは不良品ではないでしょうか?

繰り返しますが、クレーム対策でどこかしらにその手の表記がなければならないのは、理解しているんです。
しかし、ネットショップで、【ハンドメイドのこだわり】なんていうコンテンツを設け、
【長く使っていただくためにこれだけ手をかけています】と紹介しなぜ「手作業のため、ズレが付いている場合がございます」になるのか?
例えば革の素材の特性上の個体差、これは分かります。一つ一つ個別に仕上げるためのシルバーの燻や革や布の染めの入り方の差、それも当然でしょう。
でも縫製のズレは違うでしょう?鋳造の湯ジワは違うでしょう?
何のためにハンドメイドなんですか、設備投資の節約だけですか?
【機械にはできない個別作業】のためのハンドメイドと、【個体差が生じ、キズや汚れがあり、納期がかかり、単価も上がる】ハンドメイド、これはもう別の概念です。同じ言語で語るべきではない。
そこまでばらつきを味だとしたい、そのうえで通販までしたいというなら、個体差が気に入らない場合は未使用返品を受けるくらいしなくては話が通らないんじゃないでしょうか。
このあたりから、「ハンドメイド」という言葉が、時として「クオリティでは劣るが味がある」というようなニュアンスをもって語られる場面が出てきます。


ということでだいぶ言いたいことをいったわけですが、ここがゴールではありません。
ここからさらに、ハンドメイド定義は姿を変えてきたのです。
ここまでお読みになった方なら、中にはなんとなく流れで察している方もいらっしゃることでしょうが。
拡大するハンドメイド従事者に目をつけ、近年多くの個人向けマーケットサービスが立ち上がりました。
ハンズギャラリー、Creema、minne、iichiなどのECポータル、そしてTHE BASE、STORES.jpなどのネットショッププラットフォーム。
良かったのか悪かったのか、個人創作販売はヒット。デザインフェスタは動員を増し、類似イベントも増加。
各地の蚤の市も活況になっているように見受けられます。
そう。これにより、ハンドメイドという言葉は一気に、これまでは「ハンドクラフト」「ハンクラ」などと言われていた「手芸」を指す方向へと傾いて行ったわけです。
これらの販路はもともと、小規模ながら良いプロダクトが埋もれないような市場づくりを掲げていたように思います。
しかし結果として趣味の手芸や、オンデマンドグッズで様々なことが足りる、高額なハイエンドプロダクトは不要という市場を生み出してしまったような体感温度を感じます。

なにより、その市場を占める多くは工場量産のパーツをアセンブリするものと、
データを入稿して既存グッズに名入れするSPツール系のオンデマンド商品。
さすがに後者をハンドメイドと謳っていることはないので今回はこれ以上触れませんが、前者においては単純に「なぜハンドメイド作品と掲げるのに、その部品を作らないのか」と問いかけたくなります。
もうこれは彼ら彼女らの作品というより、貴和製作所の製品ではないか…そんなことを思ってしまいます。(結果的に急成長していますし)
実は、デザインフェスタで昔、出始めのころに本当に聞きそうになったことがあります。
今でこそ当たり前ですが、そこまで多くなかったころは、ユザワヤで買ったパーツだとは思わないわけですから。
ブースにいた本人が作っているのか、というつもりでこの部品作られたんですか、と尋ねたのですが、話を聞いているうちにマズイ、と思って引き返しました。率直に言ってその時は大変ショックでした。


ほっとけや、そう思う人もおられるようなことを書いてます。承知の上です。
でも、個人的感情をむき出しにすればこんな内容にはなりません。努めて冷静に記述しようとしています。
そのため何日も間を開けるなどして、見返して、直して、足して、ここまで書くのに1カ月以上かけています。
その上で、そりゃあこうもなるだろう、と僕は思います。
「ハンドメイド」という言葉を検索し、トレンドに近しいページを中心にその言葉がどんな使われ方をするか見ると、
「ハンドメイドとは思えないクオリティまとめ」
「プチプラでハイクオリティなハンドメイド」
「『手作りとは思えない』などのコメントをもらえてうれしい」
「ハンドメイドに見えない作品ばかり」
「部品を買えば安く簡単にできるし」
……と、いった具合。
とにかく、女性向け中心に今、流行だとしてハンドメイドマーケットがキュレーションサイトにまとめられまくっています。
そこでは二言目には「ハンドメイドなのにクオリティが高い」という表現がついてきます。
そういったところで物を売っている人もまた、「ハンドメイドに思えない」という褒め言葉を最上級と認識しているようです。
また、ビジネスベースではない値付け、流通の不在もあって価格が安いということも言われがちです。(世代、ライフスタイルにもよります。プチプラ雑貨と比べて高いと感じる人もいるようです)
ソーシャル時代の申し子である「キュレーションサイト」「クリエーターECサイト」それらに「女性向け」を掛け合わせる。
この組み合わせはSNS親和性が抜群なわけで、こうしたニュアンスのハンドメイドが留まることを知らず広がる、それが現状である…そういうことです。
サーチワードは「ハンドメイドとは思えない」でどうぞ。

しかしこれ、事実として特に若年層など初めて触れた「ハンドメイド」という単語の使われ方の違いによる悲劇、のようなところは確かに存在しており、例えば「ハンドメイドする」「ハンドメイド始めた」「ハンドメイド買えない」などという使われ方が、例えばTwitterの検索では多数派を占めています。
技法としてのハンドメイドならそのような表現には当然ならず、「ハンドメイドというジャンル、あるいはその商品」として認識している層がいるわけです。
人により同じ言葉を違うものとして捉えている、認識のズレがもう現実に起こっているのです。
こうした用い方をしている層は、言葉遣いやアイコンなどにある程度傾向がはっきり出ていますので、2つ3つにクラスタリング出来ると思われます。
どういうことかというと、それなりに明確にそうした認識をしている世代・趣味の層などが出来上がっている、つまり、用法として定着しています。
「壁ドン」の定義変遷を思わせる遷移をたどっているような気もしますが、これについては一般語なだけにややこしくなりそうです。
懐中時計のメタルフレームに宇宙塗レジンを乗せたものを見て「あっ、ハンドメイドだ」という声がしたら。
人によっては即座に理解できるでしょうが、何のこと?ともなりそうです。


このように、ここまで言語としての定義が揺れてしまった「ハンドメイド」。
「クオリティを上げるための手段」というニュアンスでは、もはや通らない言葉。
いかがでしょう、少なくともプロによるビジネスシチュエーションでは使わない方が良いワードとなってしまった…そう思うのは考えすぎでしょうか。


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幼いころ、母親がアップリケをつけてくれたり、ちょっと手の込んだ防災頭巾入れを作ってくれたりしたことは、とても幸せでした。
少し大きくなったころ、刺繍糸を買い込んでミサンガを編んで遊ぶのが、とても楽しい遊びでした。
何かを作る手芸、工作、それはとても素晴らしいことです。
posted by 遼 at 22:52 | Comment(4) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
うーん、面白い。
「ハンドメイド」という言葉。
お店でこの言葉を見かけると、
付加価値だな、と感じます。
最近はTVの本格スイーツでよく聞きます。
高いですよね、お菓子。

Gindharaさん、約10年ぶりに訪問させていただきました。
さっき平成14年の銀モノスタイル8を見てて、TimCampiのリングいいじゃんと思い、google検索してたどり着きました。今ではアニメのティムキャンピーが有名なんですね。シルバーのティムはどこへ...。

当時、私はキャスト工場に勤務し、ゴム型からワックス、仕上げまで全て工場で済んで出て行く姿を見て、ブランドって面白い言葉だ、言ったもん勝ちだなぁと思っていました。発注者は完成品にノータッチ、検品すらまともにできないけどハンドメイドの売り文句。インポートブランドでUSAの刻印なのに、なぜか私が御徒町で磨いてたりしました。

あの頃、FMBとか尖ったデザインが好きでしたが、いま思えば、フィリップクランジとか素敵でしたね。素材はシルバーじゃないですが。

ムック本も減り、お店も激減しました。でも、やっぱりシルバーが好きです。
長々と失礼しました。
Posted by Yamato at 2015年12月31日 01:08
なんと…コメントお返ししていなかったとは…ガン無視でしたね。誠に申し訳ないです。

10年経って畑は違いますが物を作るようになって、余計にキツイ見方をしている部分が今の自分にはあります。大声で言う気はないですが。

今は「作家もの」「ブランドもの」言葉遊びが複雑化していますが、10年前からああでもないこうでもないと考えて今に至るブランドとは何か、漠然とした答えは見えているのに現実とうまくつながらない、そんな毎日です。
Posted by 遼 at 2016年04月21日 01:39
こんにちは。

WEBでSKKINのリングを見て、
ふと思い出したように訪問しました。
僕こそコメ返し光栄です。

>余計にキツイ見方をしている
いえ、目が肥えた証だと思います。
何年も見てるのですもん。

作家も買い手も人だから、生活費-作家-作品-お金-買い手だと思うんです。
高いもんですよね、銀アクセって。

以前、Legendさんが「ちゃぶ台で作って、連絡先は携帯番号のみ、それでブランド?責任は?なめんな」と言ってて。
有名な画家が「作品に責任もてんよ」と言ってるのとは違い、強度も要す男の趣味ですもん。

答え出なくていいじゃないですか。
僕はじいさんになってもアクセサリ好きだと思います。
Posted by Yamato at 2016年11月14日 03:43
「作品か商品か」なんてことは何十年も言われていると思いますが、ともすれば作家の匿名性のためのハンドルネームがブランドになっていることには、商業としてどうかなあと思うことがありますね。

この1年でクリエイター販売サイトはさらに定着した感がありますが、中にはプラットフォームだけおいといて丸儲けでとんでもねえな、と思うこともあり…
ただの市場破壊にならないと良いのですが。
Posted by 遼 at 2016年11月24日 10:51
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