なんだかんだで10年目となり、書き始めの頃とは自分自身の経験もありつつも、世の中自体がまあ随分変わったと言っていいでしょうね。趣深いですね。
その間、たくさんのクリエイターが生まれました。造形技術の平均レベルも随分上がりました。値段もまあ、あがりました。一方で、たくさんのブランドがその活動を終えてもいきましたね。
市場全体のパイは残念ながら発展どころか小さくなっているのかな、という印象を受けますが、コスチュームジュエリー分野と混じり合った新たな購買層も生まれてきているようです。
もっともそちらの方は真鍮や亜鉛ダイカストにメッキなど、金属の素材感にはあまり頓着がないところが主戦場なので、簡単にひっくるめるわけにもいかなさそうですが。
ブランドの入れ替わりは、冷静に振り返るともしかしたら皆さんの思う上を行くのではないでしょうかね。
SKKINやティムキャンピーがそうそうにコケたのは景気云々以前のところだったかもしれませんがナグァールやアーティテュードがリタイヤしてからも、もう随分経っています。
昔のムックを掘り返してみて見ると、それはもう懐かしいことばかりなんですが、裏を返すとそれだけブランドとして確立し軌道に乗せることが難しかった、生存競争が行われていた、ということがわかります。
だからこそ、僕は当時から安易な立ち上げを嫌ったり、ブランドとしての在り方を求めたりしていたわけですが、それなりの企業経営の場合は見切りをそうそうにつけたし、個人の場合はやはり起業なのだということの自覚がその後の命運を左右したのだろうなあ、と感じるわけです。
思うに、こうしたクリエーション稼業の難しいところというのの一つには、ファンの存在も関わっているのでしょう。
それは心強い存在ではありますが、アーティストとして好まれることと、ブランドとして好評を博すことは、現象として別物です。
個人で、イベントに出展するなどしているとお客さんやファンとの交流を暖める機会に恵まれるでしょうし、それはそれで大事なことでしょう。そういった人らに作品として刺さることは絶対に必要です。
しかし、付いてくれたファンから絞り取って生き永らえるのは、よほどの金持ちでも捕まえなければ無理です。もうそれは出資者です。
ファン側の立場からいえば、そんなのなれればなりたいのは山々ですよ。でもまあ、現実的ではないです。
もっと厄介なのは、無駄に顔馴染みで金は出さんが口は出す、というファン。そう、わしじゃ。
まあそれは半分冗談ですけど、SNSの発展で今まで以上にコミュニケーションできるようになったところにもしかしたら落とし穴があるかもしれないよ、ということは言っておきたいです。
「こういうのが出たら買うのに!」⇒買いません。頭の中にあるイメージドンズバな物は、オーダーでもしなければ出てきません。下手に影響されてブレるのは危険です。
クリエイターのファンというのはもっとメジャーな市場で言うと、ミュージシャンやアニメ・漫画カルチャーのファンと類似します。
彼らは思い思いの理想像を、作れる人々に仮託して言いたいことを言います。しかし彼らは出資者ではありません。なんとしてでも欲しければ、既製品より割高だろうとオーダーを試みようとするでしょう。
漠然としたニーズを言っているだけであって、それらしきものがでてきたらそれはその時にゼロベースで検討するのです。普段から金払いが良くなければ、刈り取れる確率はたかが知れています。
僕は普段の言動や、かなりの数の方と接点があるもんですから、距離感にはちょっとばかし気を遣っています。まあビジネス的にいえば発注バランスみたいなもんです。政治的ですね。
まあでもデリケートなもんだと思います。実際。
ミュージシャンのファンと似ている…みたいに言いましたが、インディーズバンドや同人サークルのファンみたいな気質の表れで、ともすれば腕とかデザインとかあんまり関係なく懇意にしているというところが最大のポイントという例もあると思うんですよ。
ブランドと呼べないような、フリーターが作って売ってるようなものでも、半分身内みたいな感じで付いてるファン。時には「もう就職させてあげなよ」と極めて余計なお世話な気持ちを抱くことがあります。
とりあえず扱いブランドを持ちたいだけのショップに乗せられることもあるので、恐ろしいものだなあと思いますよ。
あれ別に販売目標値とか見込みとか、事前にないでしょ?置いてもらえる、俺もプロだ、ワーイ…で終わってる子も少なくない気がします。慎重になるところはなった方がいいと思います、まじで。原宿の1,000円アクセと比べて自分の力量が優れているか、ちゃんと見ればわかるはずなんです。少しして慌ててごっそり廃番にしてなんならブランド名も変えて仕切り直し、じゃ勿体ないです。販売することがゴールじゃないと思いますよ。
すごいネガティブでしょ。もうシルバー好きなのかお前、と思われるかもしれませんね。いや、好きですよ。
でもね、好きだからこそあんまりダサくならないでほしいわけですよ。専門誌は悪羅悪羅系だか、Vホス系だか、一部ターゲットピンポイントで、そこらの普通の人々からは総じて痛いと思われそうな風評を生み。
造形の競い合いの果てに装身具ってなんだったっけというディテール競争に陥り。
それじゃあもうただのオタクグッズで、カッコよくないわけです。そういうの付けてるってダセえ、になっちゃうのはあまり気分の良いものじゃない。
キャッチーであれとは言いませんけど、もうずいぶん前からアクセサリーが好きってことは自分でも作るのか、とお決まりのように言われるんですよ。もうね、手芸の世界だと思われてる訳です。
服が好きなら自分でデザインする、とはさすがに思わないでしょう?
だからまあ長々能書きを書きましたけど、本音の本音をぶちまけてしまうとですね、DQNがデザイナー面して痛々しいことを撒き散らすのも、ヘタクソがクリエイター気取りで高い値札見せびらかすのも、やなんですよ。シルバーアクセサリー自体のイメージが落ちるんですよ。
もう一つあります。
昔僕自身真鍮素材も面白いかもよ、なんて書いたことありましたけど、だからって代用素材みたいに安易に真鍮で吹きゃいいってもんじゃないんですよ。なんか最近真鍮が銀と同格みたいにすらなってきてる。どっちが良い悪いじゃないけど、銀の貴金属としてのイメージを下から引っ張ってる感があるんですよ。
銀と真鍮が色違いで、銀の方が高い、真鍮で良いよね、そうなっちゃうのは勘弁なのです。
僕は真鍮アイテムも好きで持ってるし愛用もしてるけど、一方で金(K18,K10など)も使ってるんです。その哲学を語るのは簡単じゃないから割愛しますが、やっぱりそこには使い分ける十分な理由があるんですよ…。
最初に書いたように造形の平均レベルは上がっていると思います。
10年前に細工がきれいだと思っていたのが、今はどっちかというとシンプルなディテールワークに思えるくらい、コンマミリ単位の彫刻が当たり前になってますから。
スカル一つとっても、当時は骨格模型のような造形を持った幾つかのブランドの作品が、共通して持て囃されてた時代でした。まあそうした先駆けがあってこそできたことでしょうが、今はそれもそこまで珍しくなくなっています。
しかし10年経っても第2のクロムハーツは現れませんでしたし、クールジャパンの流れにも乗れていません。明治時代には国策で輸出され花開いたと言いますし、他のコンテンツとの連携も図りやすいと思うのですけどね…
個人の所有欲は満たせているので、そこまで文句を言う必要はないのですけど、やっぱりちょっと雑誌とかを見るとムカっとすることが多いんです。安くない買い物してるのになんかなめられてるというか。
結局買わずに見るだけでもそれなりに楽しめるし、なくても生活できるんですよ。だから買ってる自分が虚しくなるのはすごくやなんです。ブランド潰れるのとかもそうですよ。その辺の消費者の情緒が、市場全体のムードとして、わかってんのかなあ、と感じることが多い。そこに尽きるのかな…
思った以上に長くなったので、この辺で。最終的にはポジティブな話にも持っていきたいのでまた近々書きます。
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