ただそれは一般的なシルバーへの(インポートとか有名ブランド)回帰ではなく、むしろこれまで目に触れることのなかったようなクリエイターたちによるもので(当たり前だけど)、そういったカルチャーとしてアクセサリーを楽しむというのもいいもんだというものだった。
シルバーアクセ「業界」は業界であるわけでもちろんビジネスなので、アートとは異なる分野にあると思う。それは広告表現がアート表現と異なるのと同じで、商業的なメッセージを伝えられなければユーザーにとっての魅力にならない。ファッションとしてのカッコイイは必ずしも造形物としてのカッコイイではないということだ。
だからといって好き勝手するアクセが必ずしもダサイわけでもなくて、絵画や彫刻に魅力を感じて購入するようにどんなスタンスで作っていてもカッコイイと感じるものは出てくるし、売れることを狙って作っても絶対に売れるというわけでもない。
メジャーブランドといわれる企業レベルの生産力・流通路を持ったブランドはビジネスとして成り立たなければ制作できないので当然制作する時点で商業的観点での企画を要する。逆に個人レベルであれば個人店舗での食い扶持とするなり小規模卸で運営するなりあるが、ビジネス的観点を捨てて好きでやっているのを販売するというスタンスも可能といえば可能だ。それがブランドなのかは置いておくが。
シルバーに限らなければアートジュエリーというものは確立されているわけで、そういった文化が浸透すれば個人ブランドもあるいはやりやすくなるかもしれない。
今回デザフェスを回っていろいろな人の「作品」を見たが、そこで一般に言う「ブランド」に属すると言えるものはなかった。しかしたとえばベテラン彫金師であるとか、作りたいものがアクセサリーだったにすぎぬアーティスト(実際芸術家かはともかくスタンスとして)であるとか、いつかはクロムハーツよりもイカしたシルバーアクセブランドを目指す下積みデザイナーだとか、どれもブランドとして商業しにきているわけではないながら一つ一つアイテムを見ると面白いものもいっぱいあった(しょうもないのもそりゃああった)。
スマッシュヒットしたスカルリングがあった。綺麗だなと思う翼モチーフのアイテムがあった。むちゃくちゃ上手い鏨彫りがあった。味のあるアートクレイがあった。変わったシェル(貝)をつかった珍しいアイテムがあった。エロチックな小悪魔のアクセにゃ使えないようなアイテムがあった。スーマンダックワより凝った手作り木目金があった。魅力的なアイテムたちも、ブランドとしてみれば穴だらけだ。ラインナップのバランス、ばらばらなブランドイメージ、経営的ビジョン、営業力、流通の知識…
でも、実際今後彼ら(ベテラン彫金師さんは除く)がどういう道を選択するかはわからないが、必ずしも高蝶さんになる必要もないし、ゴローさんになる必要もない。玉利さんになる必要も、リチャード・スタークさんになる必要もない。大体むちゃくちゃ技術も感性もあるベテラン彫金師を僕がどれほど知っているかって言ったら知らないし、シルバーフリークにとってはLSD高蝶智樹氏のほうがよっぽどか有名だ。
カットスロートはメジャーへの登竜門と銘打っていて、実際そこで成長を見せるブランドもあるわけだが、それはあくまでもひとつの選択肢であって、地道にあれこれ作るのも、一般的なシルバー業界とは路線を異にした道もこれはこれで僕のアンテナにはちょっと今んとこ遠いにしろ面白いもんではないだろうか。
最後に今日の購入品。予定外だったがとても良心的価格だったファブリルハーツのスカルスパイダーリング。カットに出ても売れそうとは思えないが、なかなか面白い。こんな路線も悪くない。
アクセサリーと言うより、美術品(絵画、彫刻のような)位置にある気がしてね。
いわゆる、「人が着ける事によって完成する」という類のものではなく「人が着ける前から完成形」というもののような気がして・・・。
良い意味で、人が着けるために残すべき「不完全さ」があるともっとよくなる気がする。
な〜に語っちゃってんだかね〜オレ。失礼しました
結構そういうの好きなんですよ。着けもしないのに持ってたくなるようなの。(笑)
一馬なんかは僕的にはそういう感じかもしれんすね。
何気なく読んでいたら当方のことが書いてあったので、ちょっと書き込んでみようと思いました。
他の方々の作品についてのコラムも読ませて頂いた上で、客観的かつシンプルな意見を頂戴出来たような気がします!たしかに、自分で外出歩くのにつけないですからね(笑)ウチのは人の都合に合わせたアクセサリーではなく、人がアクセサリーに合わせるべく作っている「作品」ですから。美術と言うにはおこがましいとは思っているのですが、人とアクセサリーの逆アプローチとそこに起こる新たな対話を図っています。とはいっても自分で身につけるとなると、作品は「デザイン」に留まり「アート」への昇華には至りませんので。オブジェのようなデザイン、ボーダーレスなプロダクトはたくさんありますが、それらの素晴しさは「アート」とは一線を画すからであり、魂を宿さないからこそ、手に取った人々の「想い」が宿る「器」なのだと私は考えています。あくまで私の世界観ですが、だからこそ私の作る作品は個々が意思を放つべく、製作過程においての素材や造形との対話は必要不可欠であり、結果がアレ!という感じです。もちろんまだまだ対話の途中だからこそ、作品の完成度が低い訳です。そういった意味で、私の作品もまた「不完全」であるがゆえに気軽に手にとってもらえるのではと思っています。それに好きだと言って頂く方の全ての方の見る目は確かだとも思っています。多くの人に認めてもらうことが作家としての価値を上げるのではなく、きっと作品がどこまで作家個人の満足感を満たしているかなのではないでしょうか。なんて、私も少し語ってみたり…ホントは勢いと思いつきで作ってるだけだったり。
逆アプローチというのは、言葉は違いますが確信犯的だとは見るからに感じていましたので頷けるものがあります。
「ブランド」という商業的なくくりで考えるのと、製作者の世界観という価値観で見るのとでは出来上がってくるものもまったく異なるでしょうし、実際ビジネスとして成り立っておられるのだろうかという気はしますが(笑
完成度をなにをもって測るかは見方次第で、完結した世界には着用者が入り込む余地がないって事もあるのかな、と言う風にも思えます。大なり小なりアイテムはつけているうちに自分にあった変化をしてくるもののような気がして、それがあって完成系ということもできるのではないか、と言う感じです。スカルスパイダー君もなんとなくリングの腕の角度とか光沢とか(結構磨くのが好きなので)ちょっと変化が見られたりします。
着用もしますが、それ以外の面で、けれどアクセサリーとして、魅力を感じるアイテムが多々あります。今後とも、頑張ってください!