先日横浜の記事で書いた、ロックキャンディへの思い入れについて、何か夢から覚めるようにある理屈とあの気持ちが結びついた。
そうなってしまうと実に必然的だ。アクセサリーのあり方のひとつということが出来るかもしれない。
すなわち、身につけるアクセサリーに対し、それを持つ自分の一部であるとする、またそうであることに存在価値を与えるといっても過言ではないこの心理は、たとえば服装の傾向が自分の「タイプ」を簡単にだがあらわし、またその傾向を自ら一貫するときただ好きだからというのが基本になるのはもちろんだが少なからず「これが自分のカラーだ」という自らのキャラ付けが行われている。
小難しくなったが出来ればこの流れを把握した上で結論を聞いてほしい。
つまりそれは、ただアクセサリーが身を飾るという以上に、「着用者を表す」ということなのだ。
確かビザールの目標に「着ける人を語る」とかそんな言葉があった。つまりはそういうことだ、とあるとき思い当たったのだ。
いかんせん現状ではシルバーをつけているだけで学校や職場では「アクセの人」のくくりで済んでしまうかもしれないが、深まっていけばたとえば僕のロックキャンディがトレードマークになりもするのだ。
ヘビーユースしていてもロックキャンディには及ばない点でロードキャメロットに関しまわりにそのようないわれをすることはほぼないが、ロックキャンディに関してはある程度「あいつのあのブレス」というように周囲にイメージを残しているような気がしないでもない。
別にブランド名を知られる必要はないだろう。ただ、単にジャラジャラついているというだけのアクセではなんだかもったいないではないか。
ずっとロングヘアだった子が突然ショートになったように、ふとある時していなかったとして、
「肌身離さずつけていたあのブレスがないけど、どうしたんだろう」
そんな存在感、着用者自らのイメージと連動するイメージ、そうなるだけの着けこなし、思い入れ、難しいかもしれないがなんだかカッコイイと思う。
2005年03月19日
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