2006年05月28日

メディア

ブログ更新が途絶えて早2ヶ月が過ぎた。
原因のひとつには気力体力時間の不足(個人的理由ですみません)
ひとつには突っ込みつくした感
ひとつには現在の業界全体の限界
などがあるのだけども、

ふたつは特に説明することもないだろうが、限界とは何か。
それは現在のビジネスモデルにおける限界である。
先週頃ムック本が発行され、気乗りしないながら2冊購入した。

正直なところ失望を禁じえない。
最近、L.S.Dのサイトにて、閲覧者に問いかけリアクションを掲載するという試みをしている。
あまり具体的にそこについて自分のフィールドであれこれ言うのはマナー違反だと思うので多くは語らないけれど、気になったのはムックについて。
ユーザーに多くを求める権利は誰にもないかもしれないが、なんら理解しようとしないままにある姿は一噛みしたくなってしまう。
媒体の役割とは
発信者の役割とは
そして
誰のためにある媒体か…

どの業界でもいえることなのかもしれないけど、メディアはとかく悪者にされやすい。TV然り、雑誌然り、新聞然り。

中身が空っぽなのは発信者が空っぽだからで、
発信者に力を与えるのは、受信者だが、
発信者は出資者で、受信者は読者、
媒体たる編集のコンテンツに寄りかかった発信者もまた、こんな本になる原因の一端を担っている。
シルバーアクセのムックによる効果の程を僕は知らない(流石にそこまでのリサーチデータはない)が、たとえば某誌のグラールデアルビオンだったかな?のページで、記事が丸々前のページのブランドのものだった。
こんな大誤植、考えられない。
そのほかにも、ブランド名から商品名から果ては値段まで、誤植の数は1誌で枚挙に暇がなくなるほどだ。
それを読者として簡単に見つけられるレベルで、掲載される側は黙っているのか?
掲載料(広告費)をただにさせてチャラ?
普通こんなの連発してたらもう廃刊になるくらいの損害のはずではないのか。
載せる広告主側も無頓着すぎる。
これは自らがコンテンツのひとつとして掲載されるものに対する意識が極めて低いということの証明といえないか?
その調子で制作物に魂を?片腹痛い。
自らを媒体にしたコンテンツは、あなたの表現の一つであり、いかなるブランドかを示すもの。
だって、示すためのプロモーションでしょう?

大手広告代理店を通すような本格的出稿のできない分野ではあろう。制作予算もかけられないのだろう。
だとしても中にはHPの小さなサンプル写真を無理やり引き伸ばしてモザイク状になっている商品写真や、地金の種類が分からなくなるほど色が合ってないものまである。
雑誌の制作プロセスを知らないのであまり言えない部分ではあるのだが、解せない部分が多すぎる。
特集や企画ページはともかく、カタログページに関して何も言えないものなのだろうか?(といってもまあ雑誌のカタログページのクオリティなんか知れてるでしょうけど・・・)
むしろ自ら納得行く画像を用意して支給する方が遥かに合理的だと思うのだが。

果ては某誌、誌面後半ヒコみづのの在校生の習作で生める有様だ。
同人誌か。
1年専門学校で学べば全国紙にブランドとして掲載される業界。
すごいよね。
でも、この調子じゃ載ることが嬉しいことじゃなくなるんじゃないだろうか?
だって、へたすりゃ億規模のビジネスの材料が学生の習作と一緒に載せられてたら、マイナスもいいとこでしょ?
そうなっていくうちに廃刊、淘汰される。
必然、生き残るための策を講じる。
そうやって競争の原理が働いて、完成度は上がっていく・・・
あるいは、割に合わないジャンルだと見られれば、あえて切り捨てられる。
発信者は媒体のメリットに貢献する必要があり、その逆も然り。
であれば共通の目的は?
より多くの読者の確保、のはず。

限界というのは、発信者は媒体にそれを求めはするが、自らは受信者に魅力を感じさせるという使命感に欠けていることにある。
作ること自体を商売だと考えてはおしまいだと思う。
なぜって、商売はその作ったものを売ることなのだから。
売ることと作ることはイコールではなく、だからこそ販売とメーカーが分離した。
売れることを考えたものづくりを求めているのではない。
制作をただの創作活動でなく「仕事」にしたいなら、それを使って「商売」をしなければならない。

ただの、ごく当たり前の事実だが、一方でその「商売」を甘く見るケースも、多い。
作ることをあまりに販売と直結させるが故に起きる悲劇だ。もはや何度となく言ってきたことで、くどいようではあるが。
とはいえクリエイターに営業スキルまで求めるのは限界があって、誤解されてる節もあるけど何も売ることを第一におけという話ではない。
良くあるのが「制作しました。だからHP作って販売します」
なんで制作=販売?キャリアは?コンセプトは?何のために作って何のために売るの?
即答で明確な思いをはっきり言える人につける文句は何もない。十把一絡げにしてケチつける気は一切ない。
ただ食う手段として作るならそういうところに就職すべきだと言う。自由に作りたいからというなら趣味にすべきだと言う。自由に作って食いたいというなら舐めるなよと言う。
売れるのは売れる価値のあるもので、自由な制作と言っても売れるものを作る必要がある。それを折り込んだ上で明確な動機、ビジョン、責任感、そして一本立ちするためのスキルを全て持つために必要な学習が「専門学校で一年間学びました」だというなら、これほど簡単で楽しい仕事はない。もしそれができると言い切れるなら、「猿でもできる彫金商売」とかなんかそう言う本でも書いたらきっとがっぽり稼げるだろう。そしたらほんとに採算度外視の創作ができるよ。
インディーズと括られる人たちの中でも目を見張る制作者の人は、やはりシリアスでシビアな目を持っているように思う。いつまでも趣味のサークル気分じゃあ、10年後20年後の自分が見えはしないだろう。

ムックに戻す。
つまるとこ、より多くの読者を得ることで得られる広告収入がマスメディアの命綱である。読者への販売を収入源とする単行本とはそこが違う。
その合理性は読者へのメリットでもあって、情報を求める読者と情報を広めたい広告主で成り立っている。間に入る代理店やら媒体社、編集はその情報をより広告主にも読者にも有益とすることで双方の支持を得る。それによって読者数の増加、広告主の増加、信頼の獲得、ひいては広告費の向上を計る。
彫金学校の広告費の比率が多ければ今回のようなページもでてくるだろうし、こうも素人ブランドが乱立する現状を見ればシルバーファンはすぐ制作に走るという意味で読者的にももしかしたらそのニーズが高いと言えてしまうかもしれない。
ビーズ細工なんかの例を考えれば、これからアクセサリーが買うものから作るものになることも絶対にないとは言い切れない。もちろんそうなればブランドは大概商売にならないが、そこまで誰でも簡単にできるものならそれが必然なのだろう。(そうは思ってないから僕は買う側なんですけど)
まあもう平たく言ってしまうと、専門学校のほうが金払えちゃうような状態だからいけないんでしょうよ、と。それだけシルバーブランドに元気がないってことでしょう、と。そんなムックになけなしの広告費払って、適当な記事にされて、意味あるの?っていう話ですよ。もちろんそれで初めて知って興味もつってことも僕はありましたよ、そりゃ。
でも、それだけ狭い市場で、狭い読者層で、毎度毎度載せたって効果の程は知れてませんか、と。ましてや代わり映えしないいつも同じラインナップなんか、意味ないでしょう。ここで見なくても知ってるよって話でしょう。
だったらもうちょっと違うメディアプランを持ってもいいんじゃないですか、と、もっと違う見せ方しても良いんじゃないですか、とそう言いたい。
そんな金がないというならそうするためのビジネスプランを持て、と。それが上手く仕上がらないなら、まず制作プランが固まっているのか見直しなよ、と。
行き当たりばったりで作るだけ作って売り込んでだんだん取り扱い増えて・・・なんて誰にでもできることやったって仕方ないでしょう。
そんな商売っ気醜いというなら、中途半端に色気を出さずに制作に打ち込めばいい話で。なんだったら働きながらでもいいわけでしょう。修業でお金もらえるわけないのだから、別な仕事で元手をためて・・・という風にするのはむしろ普通なことじゃないのかな。
そのために宝飾業界でスキルを身につけて独立、というプランになったっていいわけで。または、お店を持って色々そろえながら自分のオリジナルも出していく形だっていいだろうし。
あんまり多くの制作者と交流があるわけじゃないからなんとも言えないけど、少なくとも視界に入る中には、そういうシリアスなプランニングがほとんどないのが残念でならない。


posted by 遼 at 01:51 | Comment(2) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
銀に限ったことではなくあらゆる分野におけるアンチテーゼ的なコラムですな。

非常に同感です。

スカルが好きなアマチュアミュージシャンで、音楽で飯を食えたら。

単に

プロ志向!当方ボーカル全メンバー募集!

それで?

演奏は上級レベル・売れ線の曲作れます。

だから?

目標は世界進出!

ノーコメント。

もうそんな奴ら散々見た。
言葉以外に何も無い。
プロ志向って何だ?
そこへ向かうための戦略・計画・構想・テーマどれも語らず、ただただ「プロ」。
第一プロでやってない時点で世界も売れ線もクソも無いだろう。

口先でどれだけ立派なこと言ったって音楽に自分が現れる。
そして知る。
あぁ、愚かだな。
好きなだけじゃ駄目なんだと。

今は明確なビジョンを持ち、果ては自分に足りないものが何なのか、客観的・主観的に捉えたときに自らの作品に何かを感じることはあるのか、誰に向けて作ったものなのか、どんな意思を込めたのか。また、自分の作ったものを求めるニーズが果たして存在するのかどうか。考えをめぐらせています。

信念や情熱云々の話以前にまずコレが成り立った上での自分の音楽表現を模索し努力していくことが必要なのであって。

順序が全く違う。
まず一から積み上げてやるべきことがあるはず。


自らの音楽を全てねちっこく追求し、嫌と言うほど欠点をわざわざ自ら掘り起こしてマシにして、でもまた欠点が見つかっての繰り返し。

輪廻というか無限地獄というか。
でもこのサイクルの中に進んで身を投じることが出来なければ「アーティスト」にはなれない。「プロフェッショナル」にはなれない。

ハッキリ言って音楽業界は恐ろしいほど循環・代謝が激しく、また流行にも流されやすく、決定的にビジュアル面がモノを言うお世辞にも「仕事」とは呼べない世界です。

正に「運」が絡むと言っても過言ではないかもしれません。

が、それでも今の自分を高みに持っていこう、センスと言わず魂を磨こう、コレしかないんだ、コレなら誰にも負けやしないんだという自信・確信・信念を貫くことができるのも音楽のみです。

本気の姿勢であれば常に成功するための研究・実験を怠らないはずですしね。

今の時代、教育・学校問題・警察・医療などなど公務員によるモラルハザードどれもこれも見かけだおしの情熱とやらが蔓延し、中身はスカスカのイミテーションだらけです。

話それましたけど、時代背景も多くは影響を及ぼしているのではないか。そう思います。
Posted by 十 at 2006年11月12日 15:43
いやはや、レスポンス遅れてしまいました。

アンチテーゼというより、原点回帰の意識が強いなと自分では思っています。
正解は一通りではなくて、マーケットを巧く渡ることも自我を貫くことも同じ目的地に辿り着き得るものだと思うのです。
ただ貫くべき自我を持たない似非自我とでも言うようなもの、高め合うことのないマーケットでは意味がないということです。

こうすればプロになれますよ、とはとても言えません。ぶっちゃけ私自身も自分の職業では結構平凡なレベルです。
ただ、平凡なうちから体裁だけの肩書きを誇れはしないです。

要するに。路上で歌を歌うことはどんなど素人でも出来ます。彫るだけなら誰だってワックスは彫れます。
それをアーティストとかクリエイターと言うのは自由ですが。言ったところでお金が湧いて来るわけでもなく、実力は見たままのものでしかないわけで。

実力のないアーティスト、へたくそなブランドと言われるくらいなら、そういう趣味を持っている会社員、の方が正直、いいです。

だって、自分がなんて言ったって認めてくれる人以外からは、フリーターとしか見てもらえないですもの。

Posted by 遼 at 2006年11月30日 20:59
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